2022年11月23日

「目のまえ感」と「撮ってる感」

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今回「目のまえ感」というタイトルをつけました。
目の前を撮っているのは当然なのに、目の前を撮っている感じがないような気がしてそうしました。
目のまえ感を損なっているものはなんだろうと考えた時、撮っている感ではないかと仮定しました。
今回は「撮っている感」を排除することで「目のまえ感」を出そうと考え、写真を撮り選びました。
具体的に「撮っている感」を排除する方法の一つに両手を写しました。
普通は右手でカメラを使います。左手に何かを持って右手でそれを撮影します。
これは「撮っている感」ではないかと考えました。
そこで両手を写すことで「撮っている感」を軽減できるのではないかと考え、それを1枚。
他には撮影している、カメラを構えている右手の影が写っていない影の写真を多く構成しました。
右手でカメラを構えれば当然影になります。両手を写すことと同様に、カメラを構えている右手の影を排除することで「撮っている感」の軽減を図りました。
結果、「目のまえ感」が出ていたのかというと、難しかったかなと思います。
「目のまえ感」を損なうものを「撮っている感」とする仮定に無理があったようです。
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2022年11月21日

6人展終わる

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人数は変わっているものの11回目の6人展が無事に終わりました。
11月も終わりそうな新潟の割に天気も悪くなく、悪くないどころかかなり恵まれました。
そして沢山の方に見ていただきました。
ありがとうございます。
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2022年11月14日

ドアの写真

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11月17日(木)から新潟市中央区砂丘館の蔵で始まる6人展では、ドアの写真を4枚使う予定です。
いずれも外にあるドアで、私は外にあるドアが好きだからです。
なんで好きなのかというと、確実にどこかに繋がっているけど、それがどこなのか、どんなところなのか、わからないところが好きです。
そんなドアはデビット・リンチの映画を私に想起させます。
アメリカの田舎にある建物のドアへ、吸い込まれるようにそのドアの向こうへ行くのが私のデビット・リンチのイメージです。
できればドアを入った先も写したいのですが、ドアの先を感じる場所がありません。
これまで一度だけドアの向こうを感じたことがありました。
それは川崎にありました。20年近く前の夜ことです。
通りかかった時に開いたドアの向こう側はうなぎの寝床のように細長い通路になっていて通路を照らす照明は赤。それがデビット・リンチの映画のようだと思いました。
その時はドアの向こう、通路へ入っていかなかったのですが、数日後か数週間後か、少し時間を置いて勇気を出して入ってみようと思い探したのですが方向音痴のせいでしょう、探しても結局見つからず。
この経験は写真を撮る前のことですが、これが写真を撮る動機に繋がっているのかもしれません。
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2022年11月11日

最近高くなったいる気がする

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なんとなく、最近明瞭度が高くなっているような気がします。
GR3のファームをアップしてそうなったのかLightroomがそうするのか、単に気のせいなのかわかりませんが。
もしかしたらスマホで撮られた写真を見慣れたせいで、勝手に脳内で明瞭度を高くしているのかも。
気のせい説が有力でしょうか。
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2022年11月06日

量子夢理論

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少し前からどうして夢の内容はすぐに忘れるのか考えていました。
もっともらしいことを書いているように思われるかもしれませんが、トンデモなのでどうか真に受けないで欲しいのですが、それでも考えをまとめるために書いてみようと思います。
夢っていうのは寝ている時に見る方の夢です。
目が覚めた時に夢を見ていたという実感はあるのですが、あれどんな夢だったかなとなってしまいます。
起きた瞬間にはなんとなく夢の手応えのようなものがあっても、牛乳を飲む頃には内容をすっかり忘れてしまいます。
それでも時々、ほんの少しだけ夢を覚えていることもあります。
その内容は自分自身が持つ記憶を再現するようなものではなく、まったく知らない場所だったり、まったく知らない人が出てきたり、空を飛んだり、何かから逃げたり、車のブレーキが効かなかったり。
いずれにせよ、現実の体験とは違うことがほとんどです。
自分が体験していないことを夢で見るというのも不思議なことですが、もしかしたらそれは誰かが体験したことかもしれない、そんな気もします。
じゃあ誰が体験した記憶なのかというと「平行世界の自分だろう」そこにたどり着きました。
ここで平行世界はエヴェレットの多世界解釈を指します。
エヴェレットの多世界解釈を知りたいのであれば、「数学的な宇宙」これはKindle版すら終売で手に入りにくいので、今のところ手に入るブルーバックスの「不自然な宇宙」をおすすめします。
エヴェレットの多世界解釈というのは、もつれた量子にはそれぞれの世界がある、という仮説です。
もつれた量子を同時に観測できない以上、多世界解釈を立証することは不可能で、どこまで行っても仮説にすぎませんが、もつれた量子の不自然さを説明することが可能になります。
ところで、我々にもっとも身近な量子といえば量子コンピュータでしょう。
最近ではShorのアルゴリズムに続くアルゴリズムをついに発見したことが話題となりました。
https://group.ntt/jp/newsrelease/2022/10/31/221031b.html
これにより、量子コンピュータが汎用性を持つ可能性が生まれました。
その量子コンピュータですが、古典コンピュータと比べどうして組み合わせ問題が圧倒的に速いのか、実は説明ができていません。
量子コンピュータの生みの親の一人として数えられるDavid Deutschは、量子コンピュータは多世界で計算を分担していると考えているそうです。多世界解釈の支持者です。
多世界解釈の支持者として高名な学者に2020年にノーベル物理学賞を受賞した Roger Penroseがいます。
Roger Penroseは脳の機能は量子の性質に由来するという量子脳理論を発表しています。
ただ、量子脳理論は正しくないと後に訂正をしています。
訂正の理由に脳内にもつれた量子が存在する可能性が低いことを挙げています。
しかし、最近になって脳内にもつれた量子が存在する可能性が示されました。
https://gigazine.net/news/20221021-brains-quantum/
これは脳機能が量子に由来することを意味するわけではありませんが、量子脳理論の議論を再開するには十分でしょう。
人間の脳は古典コンピュータよりも計算能力で劣りますが、古典コンピュータでは実現できない能力を持ちます。
例えば車の運転です。
誰でも出来る車の運転を(現状)古典コンピュータでは実現できていません。
テーブルゲームにおいては人間は古典コンピュータには勝てませんが、消費カロリーを人間程度に抑えると古典コンピュータは人間(渡辺名人や藤井竜王)に勝てない、そんな指摘もあります。
何が言いたいのかというと、脳機能は古典コンピュータとは別物と言えるのではないでしょうか。
つまり、脳機能を再現するには量子コンピュータの方が適している可能性があります。
そして量子コンピュータが多世界で計算を分散しているのであれば、私の脳も皆さんの脳も多世界に存在しているはずです。
量子コンピュータが多世界で計算した結果を一つの世界にまとめるように、記憶をまとめる瞬間が夢じゃないのか。多世界で見聞きした内容が確率的に混ざりあい、それが夢となって再生されるのではないか。
それは脳の記憶領域にはないので、目が覚めると忘れてしまう。
再現性のない多世界解釈は科学倫理的には非科学的と捉えるべきでしょう。もちろん科学倫理を参照するまでもなく、以上の私の妄想は非科学的です。
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